ET-KINGのいときんが、肺腺がんで亡くなったニュース、まだ若かったのに残念です。

いときんさんって、椎名林檎さんの元旦那さんだったんですね。

ライブでは「親からもらった大事な身体に 酒、たばこ、添加物 毒放り込んだらイカンよ!」と言ってたそうですね。

 

いときんさんの病気「肺腺がん」ですが、私にもちょっと思うところのある病だけに、他人事とは思えませんでした。

スポンサーリンク

私の父も、肺腺がんで亡くなりました。

肺腺がんの原因は色々とありますが、やはり喫煙は大きな原因と言われてますよね。

確かに私の父は現役時代は、かなりのヘビースモーカーで1日にタバコ1箱以上は吸ってました。

57歳で肺気腫

57歳のときに肺の病気「肺気腫」になったんですが、それでもタバコを止めなかったです。

咳をしながらもタバコを吸ってたんですよ・・・・何を言っても止めなくて「父は、タバコを吸いながら死ぬのかな・・・」なんて思ってました。

60歳で肺線維症(間質性肺炎)

それから3年後に、肺線維症(間質性肺炎)になりました。

寝ている時間だけ、酸素吸入をしなきゃいけなくなり、「障害者」認定されました。

さすがに、その後はタバコも止めて治療に専念してましたけどね・・・・「もうちょっと早くに気がつけば居よかったのに」と何度思ったことか。

 

肺線維症(間質性肺炎)は、余命1年と言われてます。

でも、父は13年間生きることが出来ました。

これには、最初の頃は医師も「原因がわからない」と言ってました・・・かなり特殊だったようです。

なぜ、肺線維症(間質性肺炎)で13年間も生きることが出来たのか?

後に医師に言われたのは「肺気腫も同時にあったことで、肺気腫と肺線維症(間質性肺炎)の±効果?のようなもの(上手く説明できません)ではないか?」とのこと。

 

確かに、父と同じ病気で後から入院した人達のほとんどが、1年くらいで亡くなってました。

その度に、父も私達家族も「明日は我が身」と思わずに居られませんでした。

 

今思えば、父とその人たちとの違いは、肺気腫を同時に発病しているかいないか?

だからと言って、病気を2つも持っていた父が幸運だったの?と言われれば、そうでもないと思います。

それだけ、父の闘病は大変だったと思ってます。

 

肺線維症が一番気をつけなければならないのは、肺炎でした。

それでも、年々、冬になると肺炎になって入院することも増えていきました。

肺炎で入院する度に酸素の量も増えて、発病10年目には、1日中酸素を背負って歩くようになりました。

 

それでも、父は前向きで、暖かくなれば旅行にも行ってたし、大好きな畑仕事も(酸素をしながら)楽しんでました。

新薬「ピレスパ」治療始める

当時、間質性肺炎患者の間では待ち焦がれた新薬「ピレスパ」の治験が始まりました。

父も、障害者認定されてて医療費が免除なので、治験対象者になり、晴れて治療が始まりました。

私達家族も、新薬の効果に期待大!だったんですが・・・

 

確かに1ヶ月目の検診では、検査結果は良かったです。

事実上?治療効果は出てたと言って良いと思います。

 

でも、「ピレスパ」の副作用、光線過敏症、胃のムカツキ、鬱・・・

これらは父にとっては、とても辛い副作用だったようです。

  • 光線過敏症のリスクを減らすために、外に出る時も気をつけなきゃいけない・・・
  • 胃のムカツキによって、食欲不振で痩せてくる。
  • 鬱気味になって、いつも思い詰めた顔になってくる。

結局、「ピレスパ」の治療は3ヶ月で休むことにしました。

それからは、また徐々にいつもの父に戻ってくれて、安心しました。

本当に辛かったんだと思います。

 

でも、今思えば、このときに父の体に色々と無理がかかってたんじゃないかな・・・って気がします。

誰が見ても分かるくらい体力が落ちてましたから。

もし、時間を戻せるなら・・・「ピレスパ」治療は受けさせたくない。

これが、私の本音です。

スポンサーリンク


73歳で肺腺がん

肺線維症(間質性肺炎)は、肺がんになるリスクが普通の人の10倍と言われてます。

父も、なるべくして肺腺がんになってしまった・・・という感じです。

父の場合は、見つかった時は小さな物だったんですが、間質性肺炎で肺が人の半分以下しか機能してない事もあり、これ以上手術して肺を小さくすることは出来ない為、抗がん剤しか方法はありませんでした。

 

父の肺腺がんが見つかったのが4月。

その時、父は医師に「どれくらい時間がある?」と聞いたのに対して、「1年かもしれないし、2年かもしれない。」と答えてました。

私は、胸が締め付けられて頭の中が真っ白だったのに、父は強いな・・と思ったのを今でも忘れません。

 

それから、抗がん剤の1クール目が始まりました。

抗がん剤は、肺線維症(間質性肺炎)があるために、他の抗癌剤は使えない為「アリムタ」でした。

副作用が少なく、効果も出やすい新しい抗癌剤だったようです。

確かに、よく聞くような辛そうな副作用は無かったと思います。

本人も「抗がん剤っていうから、どんなに辛いかと思ったけど、こんなに楽に出来るなら良いな。」と言ってました。

 

でも、1クールが終わっても肺腺がんは小さくなることもなく、むしろ大きくなってました。

しばらく自宅に帰って居た頃から、貧血がひどくなっていきました。

顔色も良くなく、トイレに行った後が一番辛そうで「これが、抗がん剤の副作用なのか?」という思いしかありませんでした。

結局、すぐに入院することになり、父は「もう、抗がん剤治療はしない」と医師に告げて、医師も父の気持ちを理解してくれました。

 

でも、それからすぐに父の症状はどんどん悪化して、6月の末には亡くなりました。

肺腺がんの宣告を受けて、約2ヶ月後です。

最愛の父への娘としての思い・・

父はよく「この世で一番恐いのは娘だ」なんて言ってたそうですが、そうかもしれない。

でも、私は家族の誰よりも父に向き合ってたつもりだし、家族が言わないことも父には言ってた。

 

新薬「ピレスパ」のときも・・・

家族は「それでも副作用としては軽い方なんだから、頑張って続けたら?」と言ってたけど

私は「副作用が軽いとかっていうのは、本人にしかわからないし、本人が本当に辛くて続けるのが苦痛なら止めたほうが良い」と言った。

決して、父の病気が治ってほしくないわけじゃない・・・でも、父の苦しそうな顔を見るのが私は辛かった。

光線過敏症とか鬱の辛さは私にはわからないかもしれない。

でも、毎日毎日胃のムカツキは辛い!!!痩せるほど苦しんでるのに、「もっと続けろ」とはいえなかった。

 

抗がん剤のときも・・・

私は真っ先に医師に聞いた「父は、体力が落ちてます。抗がん剤投与で、もっと体力落ちたりしませんか?もし癌が小さくなったり消えたとしても、以前のように体力は戻るんですか?」と。

医師は「なんとも言えないな・・・体力、落ちるかもしれないね。」としか言わなかった。

 

父も「自分の体のことは自分がいちばんわかってるから、大丈夫だ。」と言った。

 

抗がん剤投与で癌が小さくなるかもしれない・・・・でも、望みは低い(医師の言い方から分かった)。

もし、延命できるとしても、ベッドの上で寝たきりになるだろう。

私は、そう悟った。

 

父は、ピレスパ治療で体力が落ちて、酸素を背負ってフラフラして歩いている状態・・・

こんな状態で、抗癌剤なんて良い訳がない!

わざわざ辛い抗癌剤治療なんてしないで、今のまま静かに過ごさせたい!

少なくとも、今は家の中で起きて生活もできるし、食事だって出来る。

もし、寝たきりの生活なんてなったら、行動的な父にとっては死ぬよりも辛いかもしれない。

私はそう思った・・・

 

でも、母や弟は「抗がん剤、1回くらいは試したほうが良い」と言い、結局父は抗がん剤を受けることにした。

 

父は、母も弟も居ないときに私に言った「お母さんたちも希望を持ってくれてるし、先生もせっかく言ってくれるんだから、一回くらい抗がん剤受けなきゃならないんだ・・・・お父さんも、無理なのはわかってるし、本当は受けたくないけどな(苦笑」

 

私は、希望を捨てたわけじゃない・・・むしろ、奇跡を信じたかった。

父なら、余命1年と言われた間質性肺炎でも13年も生きてきた。

だから、肺腺がんで余命1年とか2年とか言われても、父ならもっと生きてくれると信じたかった。

 

結局、私の意見は無視されたし、私はいつも家族のやることに反対してる娘だったかもしれない。

 

それでも、父は分かってくれてたと思ってる。

だから、通常、容態が悪化して個室に入ると機械を付けられて1ヶ月以上は生かされると言われてたけど、父は事前に「延命はしないでください。」と医師にも告げていたこともあって2日目に亡くなった。

結局、モルヒネ治療も一度もしなかった。

モルヒネ治療が始まったら、もう意識も戻らないし、全て垂れ流しになって臭いも酷いというのは聞いたことがある。

綺麗好きな父らしく、それは断固拒否して逝ったんだと思った。

悲しかったけど「お父さん、最後まで格好良かったよ」と言ってあげたい。

 

医療機関で仕事している弟が「抗がん剤をしてから、亡くなるまでが早すぎる。」と言ってた。

私は、医学に関しては全く無知なので、本当ならどれくらい時間があったのかはわからないけど、身動き取れず、あんなに苦しんで何ヶ月も生きるなんて、生き地獄だと思う。

個室に入ってからの2日間の父はとても苦しそうで、見ている私にとっても今までの人生で一番辛い時間だった。

 

ずっと、私の気持ちを理解しながらも、母や弟の意見をきいてた父だったけど、最後は「お父さんが苦しんでる姿を見るのが一番辛い」という私の気持ちをくんでくれたんだと思ってる。

 

13年間の長い闘病、それでも父は、いつも明るくて家族の中でも中心人物でした。

病院でも、医師からも看護師さんからも好かれていて、亡くなった時は担当医が泣いてくれたほどです。

(担当医が、死亡診断したときに声が詰まって涙を拭いたのを私は見ました)

 

注>

今まで書いてきたのは、全て、私の父の場合!ということで理解ください。

決して、治療法や薬を否定しているわけではありません。

治療の結果は、人それぞれ違いますし、劇的な効果を得られる可能性もあります。

父には、残念ながら良い効果は出なかったけど、同じ治療でいい結果が出てる人もたくさんいると思います。

もっと医学も高度になって近い将来、間質性肺炎も、肺腺がんも完治出来る日が来るのを願うばかりです。

 

最後に、ピレスパの間質性肺炎の治癒効果は高いと思いました。

ただ、副作用がもう少し軽ければ・・・副作用を軽くする方法があれば・・・・

それが、とても無念でした(2010年、あの時は無かった)。

スポンサーリンク